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城東閣

江戸時代中期の弘前藩によって、城の東に新たに町割りされた鍛冶町の地に、藤田寅吉によって築かれた、明治時代から続く氷室(天然氷蔵)が並ぶ、細長い長屋型の地の利を活かし、昭和34年に藤田寅太郎によって、高度経済成長期を支える「人々の交流の場」をつくろうと、小路という通り抜けの空間を開放し、その両側に飲食店を集積させたのが「城東閣」の始まりです。
地方繁華街は今も昔も「交流の要衝」。城とつながり、街とつながり、人とつながる。江戸時代、弘前城下の町割りの姿を、いまも色濃く遺している中心市街地。ここ城東閣は、かつて表店おもてだなが立ち並んでいた「鍛冶町」通りから、「新鍛冶町」通りまでつながっている。寅吉は、新鍛冶町側の自身の商家の裏店うらだなを「うらのみへ(せ)。」と読めることから愛着をもって「うらへ」と呼んだ。小路の真ん中まで進むと、そこには会所地(かいしょち)ならぬ、文化、芸能など多彩なアクティビティに使っていただける「空き地」が用意されている。さあ、つながる小路から、街歩きで巡ろう。弘前の街を。
城東閣内のお店
■BAR THE GYO
■Ripen
■きむら屋 鍛冶町店 (お弁当テイクアウト)
■串焼酒場 炭太郎
■春光堂
■炭火焼 鳥よし
■ドラム缶焼肉 肉イチ
■呑み処 千夜
■麺's酒場 燦々
■城東閣フレキシブルルーム (予約制貸ルーム)
地方繁華街は今も昔も「交流の要衝」。城とつながり、街とつながり、人とつながる。江戸時代、弘前城下の町割りの姿を、いまも色濃く遺している中心市街地。ここ城東閣は、かつて表店おもてだなが立ち並んでいた「鍛冶町」通りから、「新鍛冶町」通りまでつながっている。寅吉は、新鍛冶町側の自身の商家の裏店うらだなを「うらのみへ(せ)。」と読めることから愛着をもって「うらへ」と呼んだ。小路の真ん中まで進むと、そこには会所地(かいしょち)ならぬ、文化、芸能など多彩なアクティビティに使っていただける「空き地」が用意されている。さあ、つながる小路から、街歩きで巡ろう。弘前の街を。
城東閣内のお店
■BAR THE GYO
■Ripen
■きむら屋 鍛冶町店 (お弁当テイクアウト)
■串焼酒場 炭太郎
■春光堂
■炭火焼 鳥よし
■ドラム缶焼肉 肉イチ
■呑み処 千夜
■麺's酒場 燦々
■城東閣フレキシブルルーム (予約制貸ルーム)