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最勝院五重塔
3代藩主信義が計画し明暦2年に着工、寛文7年に完成。釘を使用せず、江戸時代に建立されました。平成3年台風19号の被害により修復工事をし、平成6年に完成しています。
津軽統一の際、戦死したすべての人々を敵味方の区別なく供養するために建造したといわれています。塔の総高は31.2mで、東北一の美塔と讃えられており、五重塔の少ない東北地方としては極めて大切な遺構です。国の重要文化財に指定されています。
金剛山 最勝院 YouTube動画
最勝院仁王像 「甦れ、厳しくも優しい眼差しよ」
最勝院仁王像と最勝院五重塔は、共に弘前市民の心の拠り所として、実に多くの人々に親しまれている津軽屈指の名刹寺院、金剛山最勝院の境内にあります。
阿吽の仁王像は寄せ木造りのご仏像で、令和元年(2019)秋より足かけ4年の歳月をかけて解体工事が行われました。過去の粗悪な補彩などを全て取り除くなどにより最深部に残されていた約400年前の色が約1000日をかけて掘り起こされての復元・復旧がなされた大工事でした。中でも解体により運慶の流れを汲む京都の「七条仏師流右近」の手によるご仏像であった、という大発見が特筆されます。
令和5年春、阿吽の仁王像は仁王門の主、皆が待ちわびた仁王様として帰還を果たしました。
この記録ビデオは、「甦れ、厳しくも優しい眼差しよ」と題して、ご協力を頂きました皆様方に是非ともご覧頂きたいと念じつつ、感謝の気持ちで制作させて頂いたものです。
最勝院は青森県弘前市のほぼ中央に位置し、国重要文化財の指定説明に「東北第一の美塔」と称讃される、姿の美しい五重塔がある事で有名な寺院です。境内に足を踏み入れ、最初に目にするのが仁王門であり、門をくぐる参拝者を見つめるのが仁王様の役どころといえます。
弘前創生の頃より数百年もの長い間、津軽と弘前民衆を見まもり、見まもられてきました大切な阿吽の相を呈した仁王様です。
津軽統一の際、戦死したすべての人々を敵味方の区別なく供養するために建造したといわれています。塔の総高は31.2mで、東北一の美塔と讃えられており、五重塔の少ない東北地方としては極めて大切な遺構です。国の重要文化財に指定されています。
金剛山 最勝院 YouTube動画
最勝院仁王像 「甦れ、厳しくも優しい眼差しよ」
最勝院仁王像と最勝院五重塔は、共に弘前市民の心の拠り所として、実に多くの人々に親しまれている津軽屈指の名刹寺院、金剛山最勝院の境内にあります。
阿吽の仁王像は寄せ木造りのご仏像で、令和元年(2019)秋より足かけ4年の歳月をかけて解体工事が行われました。過去の粗悪な補彩などを全て取り除くなどにより最深部に残されていた約400年前の色が約1000日をかけて掘り起こされての復元・復旧がなされた大工事でした。中でも解体により運慶の流れを汲む京都の「七条仏師流右近」の手によるご仏像であった、という大発見が特筆されます。
令和5年春、阿吽の仁王像は仁王門の主、皆が待ちわびた仁王様として帰還を果たしました。
この記録ビデオは、「甦れ、厳しくも優しい眼差しよ」と題して、ご協力を頂きました皆様方に是非ともご覧頂きたいと念じつつ、感謝の気持ちで制作させて頂いたものです。
最勝院は青森県弘前市のほぼ中央に位置し、国重要文化財の指定説明に「東北第一の美塔」と称讃される、姿の美しい五重塔がある事で有名な寺院です。境内に足を踏み入れ、最初に目にするのが仁王門であり、門をくぐる参拝者を見つめるのが仁王様の役どころといえます。
弘前創生の頃より数百年もの長い間、津軽と弘前民衆を見まもり、見まもられてきました大切な阿吽の相を呈した仁王様です。
- 住所
- 弘前市銅屋町63
- お問い合わせ
- 最勝院五重塔 0172-34-1123
- 関連リンク
-
金剛山 最勝院
HIROSAKI Heritage
弘前市
宵宮
- 交通
- JR弘前駅より土手町循環100円バス「本町」下車 徒歩5分
- 拝観時間
- 9:00~16:30(季節により変更あり)
- 拝観料
- 無料
※さくらまつり・ねぷたまつり期間は大人500円、小中学生300円
- 休館日
- 年中無休